2013年07月07日

MSXの思い出

 
 今年で『MSX』が30周年との事なので思い出とか書き出してみようと思います。


 とりあえず、一番の思い出は『RPGコンストラクションツールDante』で作った作品『FANTASY STORY オーハ』がMSXマガジン(1991年8月号)に載った事です。

MSXマガジン1991年8月号
 入選はできなかったのですが1/2ページものスペースを使って掲載された事がすごく嬉しかったです。
 そりゃもう嬉しかったのです。
 どれくらい嬉しかったと言いますと〜

 その日、友人の一人がパソコンを買いたいからアドバイスしてくれというので数人で秋葉原に行きました。
 そしてとあるショップに入りました。
 JR秋葉原駅から出て何件目だったか、今は亡きラジオ会館の中にあったショップに入ったと記憶しています。
 そこに出たばかりのMマガ(もしかしたらフライング販売だったかもしれません)が並んでいました。
 そういえばアレの発表だったと早速手に取りページを捲り‥‥自作が載っているのを目の当たりしたのです。

 「‥‥こ、ここ、コレ見てコレコレ!」

 友人たちに対し内容の説明もせず誌面の自分の名前を指差すばかりで要領を得ない自分でしたが、彼らはなんとなく事態を察してくれたようです。
 「おお〜‥‥おめでとう〜!」
 彼らはなんとなく祝福してくれました。

 それまでも何度か作品投稿(雑誌への4コマ投稿からプログラム投稿まで)をした事はありましたが、取り上げられたのは生まれて初めて。
 それが自分の名前だけとかでなく結構大きく作品が紹介された事に、ボクは完全に舞い上がってしまいました。
 そんなわけで次の店に行っても心ココにあらず状態。
  金子「ゴメン、今日はもう無理だわ」
  友人「そうだね」
 秋葉原滞在時間数十分でその日は解散となったのでした。

 その後もしばらくは知り合いに記事を見せびらかしまくり、持ち歩く用とは別に雑誌ももう1冊買いました。
 当時の自分を思い出すとかなり恥ずかしいです。


 (以降、用語の説明とかせずに思い出をツラツラと書きます)

 
 
 
 金子の愛機はSONYの最初期のMSX、HB-75です。
 松田聖子が「ひ〜とびと〜のHiTBiT♪」と宣伝していたやつです。
 よく覚えていないのですが、初めはMSXを買おうとしていたわけではなくゲーム機を欲しがっていたんだと思います。
 で、どういう流れか「ゲームはダメだけどパソコンならOK」というような流れになったような‥‥
 妙にハッキリ覚えているのが自分的な最有力候補だったのはバンダイのRX-78だった事。
 しかしそこからどうしてMSXを選んだのかは覚えていません☆

 HB-75のエピソード。
 ある日、コナミのゲーム『モピレンジャー』を遊んでいた姉が大声で自分を呼びました。
 何事かとMSXのある居間へ行くと、TVには我々姉弟が到達した事の無いステージが映し出されていました。
 そして彼女は新しいステ−ジ挑むべく意気揚々とF1キーを押してポーズを解除したのです。
 (コナミのゲームは基本的にF1キーをポーズボタンとして使っていたようです。)

 説明図とモピラさん
 上の図はHB-75の電源スイッチとF1キーの位置を示すものです。
 うんまあ近いっちゃ近いんですが、なんで電源スイッチを押しちゃったんでしょうね姉さん‥‥
 その後、我々姉弟はそのステージに2度と到達する事はありませんでした。


 さてゲームは何本か買いましたが、お金が無かったので自然と興味はプログラムに向いていきました。
 ぼちぼちBASICを覚えて、LINE文でアドベンチャーゲームを1シーンづつ作ったり。
 スプライトのツールとか無かったので1ミリ方眼紙を買ってきてドット絵を描いたり。
 そのうちマシン語にも手を出すもののアセンブラは持っていなかったのでノート上でハンドアセンブルしたり。
 とにかくアナログ作業が多かったです。

 とか言いながら「完成させた」と言えるゲームは一本しかありません。
 (そしてベーマガに送って落選しました。)
 あとはスプライトエディターとか、こまごまとした物とか。
 自主制作ビデオのテロップなんてのもありました。
 (スタッフロールは人数が多かったのでスクリーン6を使ってデータ量をカバーしたり。)
 構想だけで終ってしまったゲームはたくさんありましたねー‥‥


 話は戻りまして。

 MSXでゲームしたりプログラムして過ごしているとやがて『MSX2』が登場の時がやってきました。
 当初はHB-F5が欲しいな〜とか思ってましたが、やはりお金が無いので新しいマシンは買えませんでした。
 その後、松下やSONYから低価格のMSX2が出るのですが、その頃の自分はHB-75にどんどん愛着が湧いてしまい買い替えとは違う方向に進みます。
 外付けフロッピーディスクドライブを買い、拡張スロットを買い、MSXバージョンアップアダプタを買いました。
 どう考えても買い換えた方が安いんですが、愛ゆえに貯金してジワジワと環境を整えていきました。
 MSXをMSX2相当に変える『MSXバージョンアップアダプタ』は対応してないソフトが多くありましたが、ディスクを直接書き換えて遊べるようにしたりしてましたねー
 (VDPを制御するI/Oポート98H〜9BHを操作している箇所を88H〜8BHに変更する簡単なお仕事です。)


 そんな事をジワジワやっているうちに次の規格『MSX2+』も過ぎてまして、ついに『MSXturboR』が登場しました。
 松下一社からのみで。
 その事に危機感を覚え、MSXを応援する意味を込めてFS-A1ST、FS-A1GTと買いました。
 たぶん、今更遅かったんでしょうけどね。
 インターネットの前、パソコン通信をこれらのマシンで楽しんでました。

 その後、「小さいPCステキ!」とLiblettoを買ったのをキッカケにWindowsに移行していく事になります。
 MSXたちは今でも自宅の押入れに入ってますが、まだちゃんと動くのかな‥‥


 金子は現在プログラマーを職業としていますが、その道を選んだのはMSXと出会ったからです。
 自分が関わったゲームが雑誌に載る事もありますが、Mマガに載ったあの時以上の喜びはまだ得た事がありません。



 最後に『FANTASY STORY オーハ』の画像を公開しておきます。

 FANTASY STORY オーハ 

 ゲーム画面
 この画像はMマガに送ったバージョンではなく、その後に手を加えたバージョンです。
 システム画像も弄ったりして、フォントや左下のDanteロゴをゲームタイトルに描き変えてます。

 タイトルの下に年号が書いてありますが、何だ1887って‥‥どんだけ歴史あるタイトルだよ!
 (ちなみに1887もとい1987は原作(中学生時代に紙で作ったRPGモドキ)の作成年、つづけてDante版の作成年、修正年だと思います。)

 オーハでは歩いていると度々何も無いのに停止してメッセージ送り待ち状態になります。
 Danteはイベント関係を全てメッセージで管理しているので、空メッセージでフラグを管理したりマップを書き変えてキャラの顔を表示したりしている為ですが、正直ウザいです。

 本当はゲームデータ自体を公開しようと思ったのですが、システム部分は他人の著作物なので一応やめておきます。
 ツクールシリーズのようにデータ配布ができる規約になっていれば良かったのですが。
 ‥‥とか言いながら、実はコミケで頒布してしまった事があります。
 完成後にわざわざ「修正」したのはそのためです。
 数本売れました。 ごめんなさい。


posted by 金子 at 00:02| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たまたま、MSX30周年で懐かしく見ていたら、ここに来ました。懐かしく読ませていただいたとこで、私的なコメントで申し訳ないのですが、
もしかして、小中の時の友達だったりします? PC6001でピンと来ないようでしたらゴミとして、消してくださいませ。
Posted by ishida at 2013年07月25日 20:43
◆ishidaさん
 はじめまして‥‥じゃない!?
 PC6001の『黄金の墓』やら『ポートピア連続殺人事件』やらを遊ばせてくれたishida君?
 お久しぶりです!
 わー嬉しいな〜
 お元気でした?
Posted by 金子 at 2013年07月26日 04:31
やっぱりぃぃぃ!!!
何か呼んでるうちに、似てるなぁ〜って半信半疑。
そのうち名前に気がついて、同じじゃ〜ん! まさか〜って。
凄くビックリです。
懐かしさが込み上げてるので、もし良かったらメールくださいな。もっと話したいです。
(^_^)v
Posted by ishida at 2013年07月26日 21:23
ホント懐かしいね!
 今ちょっと忙しくてレスポンスは悪いかもだけどメールします。
 待ってて〜
Posted by 金子 at 2013年07月28日 00:03
了解!
では、また
Posted by ishida at 2013年07月28日 08:15
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。